吉田 良一郎 / よしだ・りょういちろう(津軽三味線)

父の勧めにより 5 歳で三味線を手にする。同級生とは違った習い事に少年時 代は恥ずかしさを覚えたが、津軽三味線と出会いその魅力に惹きつけられる。弟・健一と競い合うように習得し、共に数々の津軽三味線の大会で入賞を重ねて注目される。吉田兄弟として 1999 年にメジャーデビュー、2003 年には全米デビューを果たす。
無我夢中で駆け抜けた20 代も終わる頃、自分の体が変わってきたと感じる。自分のプレイスタイルを見直す作業のなかで、“和”の音楽をもっと突き詰めたいと考えるようになった。一方で「このままでは民謡も、和楽器も衰退してしまうのではないか」という危機感を強く持つ。津軽三味線だけではなく、他の和楽器も交えた伝統音楽の良さを伝えるために「ライフワークとして学校公演をやりたい。」これがこのユニットの出発点になる。民謡や古典の世界観は、現代人の生活とはかけ離れたものになり、難解と思われがちだ。先人が残してくれた素晴らしい民謡や古典の要素を使いながら、今の感性にあったアプローチで“和のカッコイイ”音楽を作ることがテーマ。新しい風を感じてもらえるおもしろいグループができたと感じている。


元永 拓 / もとなが・ひろむ(尺八)

4 歳からヴァイオリン、中学生ではトロンボーンと楽器にふれることが多かった。一方で、幼少から少年時代を台湾、シンガポールで過ごし、“和”に憧れを持つようになる。シンプルでクリーン、スピリチュアル。日本文化の持つ“静”に強く惹かれた。帰国後、ヘビーメタル系バンドでギターを弾きながらも、神社仏閣に関心を持ち、坐禅に取り組み、歴史小説を読み、歌舞伎座に通う高校生になった。大学で邦楽サークルに勧誘され尺八を手にし、馴染んできた“演奏すること”と “和”がつながる。大学生活最後の年には NHK 邦楽技能者育成会第 44 期生に合格。プロを目指す人たちとのアンサンブルが刺激的だった。「やれるところまでやってみたい。」師匠について技術を一から学び直す。その後、尺八トリオ「般若帝國」「日本音楽集団」に参加し、海外での演奏会や学校公演を多数行ってきた。音だけでメッセージを伝えることは難しいけれど、尺八という現代ではめずらしくなってしまった楽器だからこそ、興味を持ってもらえると感じている。尺八の根本にある虚無僧の古典本曲に取り組むことがライフワーク。その要素がこのユニットの音楽にも影響を与え、メンバーがこれまで取り組んできた民謡、御囃子、筝曲、本曲など、日本の音楽が持つ特徴を出し合い融合することで、もっと強烈な音楽を生み出したいと思っている。

尺八演奏家 元永拓ウェブサイト


市川 慎 / いちかわ・しん(箏・十七絃)

幼い頃は親が忙しくしている原因である箏が大嫌いだった。箏には見向きもせず中学生からギターを始め、高校時代にはメタルバンドを組む。高校 3 年生のとき、 TV で後の師匠となる箏奏者がギター音楽を思わせるオリジナル曲を演奏するのを観て衝撃を受ける。「こんな ことができるなら、箏をやってみようかな。」卒業後に秋田から上京、沢井比河流氏、沢井一恵氏の門下に入る。周りは子どもの頃から始めてプロへと進む人ばかり。稽古だけでなく、礼儀作法も徹底的に叩き込まれる内弟子としての毎日は想像以上に厳しかったが、1 年も経つと弾ける喜びを感じられるようになってきた。その後コンクール入賞やリサイタル出演などで若手演奏家として注目され、2002 年には尺八とのユニット「ZAN」でメジャーデビューする。ギターに近い弦楽器で好きな音楽をやり、さらに生田流箏曲「清絃会」家元の跡取りとして四代目を継げれば、すべてが上手くいく気がしていた。今は、古典を受け繋いでいく過程の一人として”教える”という重要な使命があると感じている。さらに、より多くの人に箏を知ってもらうためにも、一緒に演奏する機会のなかった楽器とのユニットであるこのグループは魅力的だ。 一人の箏奏者としても、和楽器だけでどこまでおもしろい音楽が作れるのか、チャレンジしたいと考えている。


美鵬 直三朗 / びほう・なおさぶろう(太鼓・鳴り物)

誤解を恐れずにいえば、太鼓奏者ではあるが特別に“和”を意識することはない。洋の東西を問わず楽器はたくさんあり、偶然自分の身近にあったのが日本の太鼓 だった。和楽器奏者や唄い手がいる家で生まれ育った少年時代は、民謡が楽しい ものだとは感じていなかった。中学、高校時代と美鵬流の創始者である祖父の稽古場へ通っていたが、嫌々取り組む毎日で怒られてばかりいた。卒業後の進路に“家の仕事”を選ばず就職して家を出るが、家族に頼まれ演奏を手伝うことが続くうち、太鼓が嫌いじゃない自分に気づき始める。一度離れた世界へ戻ってくることができたのは祖父と親のおかげだ。今、「自分は民謡も太鼓の演奏技術も“美鵬”から預かっている」と考える。
「美鵬流を学びたい」といってくれる人に持っている技術を渡すことが“美鵬”の名を残すことにつながっていく。内弟子を終え、プロとして経験を積み、同世代の演奏家たちと出会うなかで、ようやく音楽の楽しさが感じられるようになった。太鼓や鳴り物で、音楽が持つ情景に色づけしていくことに魅力を感じ、一人で演奏するよりもアンサンブルを好む。このユニットに参加したことで、演奏家としての視野が広がった。夢のあるチームで、もっと先にある何かを見てみたいと考えている。